目黒のさんま・たけのこの歴史
「さんま・たけのこスタンプラリー」の案内より、
目黒のさんま・たけのこの歴史を抜粋して紹介します。

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江戸時代、目黒へ鷹狩に来た殿様が一件の農家でひと休み。
生まれて初めて食べたさんまの塩焼きの美味しさに
びっくり仰天!
この味が忘れられず、後日お城でさんまを所望した。
家来は気を利かせ、
骨を取り除き、蒸して油を抜いたさんまを差し出した。
殿様は一口食べて首をかしげ、
「このさんまはどこから取り寄せたのじゃ。」
家来が
「日本橋の魚河岸でございます。」
と答えると、
殿様はすかさず、
「それでまずいのじゃ。やはり、さんまは目黒に限る。」
お後がよろしいようで・・・。
落語「目黒のさんま」は、
明治24年に噺家・禽語楼小さんが演じたと言われています。
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目黒は昭和の初めころまで、
たけのこの特産地として知られていました。
江戸時代に筍翁と呼ばれた山路勝孝が、
薩摩の孟宗竹を戸越村の別宅に植えたのが始まりで、
碑文谷村などに広まったと言われています。
掘り起こした地下茎を深い溝に埋め直す「目黒式」と言われる
独特の栽培法法によって、目黒のたけのこは、
江戸市中で「太く、柔らかくて、美味しい」と評判をとりました。
また、筍飯は、目黒不動尊の門前にあった料亭の名物料理
として知られていました。
今も、碑文谷八幡宮近くのすずめのお宿緑地公園に、
当時の面影が残っています。
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ちなみに、漢字で書くと、
さんまは「秋刀魚」、たけのこは「筍」となります。
秋刀魚は、
「秋」の味覚をイメージさせるものであることと、
銀色に輝く魚体が「刀」をイメージさせるものであることから、
漢字ではこのように表記されるのだそうです。
筍は、
地面から顔を出す前の竹の幹の部分をいいます。
竹の成長はとても早く、この幹を食べられる期間は
竹が生え始めてから10日間です。
ということから、「竹の旬」という意味で、
たけのこは筍と表記されるのだそうです。
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